安全とは
安全とは、何を意味するのでしょうか。
1990年に策定、2014年に改訂発行された安全に関する国際規格作成のガイドラインである「ISO/IEC GUIDE 51」によると、
安全とは「許容できないリスクがないこと」
と定義されています。
一般的に(特に日本においては)、安全というと全く危険な状態がない「絶対安全」を思い浮かべる人が多いかもしれませんが、この定義においては、許容できないリスクがない状態=リスクを許容できるまで低減させた状態を「安全」と言えるということです。
安全に関する国際規格ではリスクは「危害の発生確率と危害のひどさの組み合わせ」と定義されており、安全を定義する分野によって危害の程度は異なりますが、主に人体の受ける物理的障害もしくは健康障害と考えられています。
この考え方の背景には、「絶対安全」というものは存在せず、利便性のあるものには必ず危険性が潜んでいるという考えに立った定義であり、危険性の有無ではなく、危険性の程度が問題であるということが言えます。
安全に対する意識の違い
「安全」に対する意識は国間、民族間で異なっており、その違いを認識し、受け入れることはあらゆることがグローバルに展開する現代においては特に重要なことです。
日本人に欧米との安全意識の違いを知らしめたのは、イザヤ・ベンダサン著『日本人とユダヤ人』(1971年)であると言われています。
そのなかに「ユダヤ人は大切な自分の生命を守るためならば高額な費用を払ってでもホテルに居住したりするのに対して、日本人はこれまで「安全は自然と守られているもの、又は誰かが守ってくれるもの」としてあまり意識する必要がなかった、という記述があります。
日本人の意識にはこれまで、危険なものは存在せず、何をやっても危険にはならない、いわゆる「絶対安全」という傾向が強かったようです。そういった意識なので、安全といわれたシステムで事故が発生すると非難が集中し、安全神話崩壊とマスコミがかき立てるというようなことも「安全」の意識が特徴として表れているかもしれません。
一方、欧米では絶対安全は存在せず、危険性の程度が問題であると考えられているようです。安全といっても事故は起こり得ると考えており、安全とは、起こる可能性のある事故の危険性が低い次元で抑えられているという意味で使われているようです。
この欧米の考え方はそのまま、上記であげた「ISO/IEC GUIDE 51」の考え方に通じています。
そのため、各国で許容可能なリスクのレベルは異なる可能性があるということも理解しなければなりません。
- 日本の考え方
- 欧米の考え方
- 災害は努力すれば、二度と起こらないようにできる
- 災害は努力をしても、技術レベルに応じて必ず起こる
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- 災害の主原因は人である
- 技術対策よりも人の対策を優先
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- 災害防止は、技術的問題である
- 人の対策よりも技術的対策を優先
- 管理体制をつくり、人の教育訓練をし、
規制を強化すれば安全は確保できる - 人は必ず間違いを犯すものであるから、
技術力の向上がなければ安全確保はできない - 安全衛生法で、人及び施設の安全化を目指し、
災害が発生するたびに、規制を強化 - 設備の安全化とともに、事故が起こっても重大災害に
至らない技術対策 - 安全は基本的に、ただである
- 安全は、基本的にコストがかかる
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- 安全にコストを認めにくい
- 目に見える「具体的危険」に対して最低限のコストで
対応し、起こらないはずの災害対策に、技術的深掘りはしなかった
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- 安全にはコストをかける
- 危険源を洗い出し、そのリスクを評価し、評価に応じて
コストをかけ、起こるはずの災害の低減化努力をし、
様々な技術、道具が生まれた
- 見つけた危険をなくす技術(危険検出型技術)
- 論理的に安全を立証する技術(安全確認型技術)
- 度数率(発生件数)の重視
- 強度率(重大災害)の重視
向殿政男監修、安全技術応用研究会編(2000):国際化時代の機械システム安全技術、日刊工業新聞社